2019年05月04日

イノシシ いのしし

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 昨日ののつづきです。

 同じ「ましかく」が「べーす」なので
「イノシシ」と「いのしし」とを
 くっつけて1つ に しても しき詰まりますよ という作品です。

 くっつけると どんな よいことが あるのか というと
 一つには、これが ひとまとまりの しき詰め作品になるということです。
 言い替えれば
「猪」をいみする「イノシシいのしし」という ひとまとまりの ことば
 としても とらえられる ということです。
 たとえば日本語をよめない人に
「本作は なんと かいてあるのですか」と問われた際に
「猪という いみの言葉がかかれているよ」と こたえた時、
 よめない人にとっては、本作が
 猪という いみをもつ ひとまとまりの ことばに みえるでしょう。
 二つには、あるいは
 本作は一つの「猪の画」の ようにも みえませんかね。
 しんどうTypeの ようソ です。
 文字のイノシシ(いのしし)で猪の画をえがく という たぐいのやつです。
 単に右むきの全体像の猪でもよいかもしれせんが、
 ぼくは「(割と かわいらしく)目を瞑って右をむく猪のヨコがお」に みえました。
 なので
 このいみでも本作は、ひとかたまりの(一つの画としての)Amb作品と言えます。
 ただ くっつけた だけでなく1つの画になった、1つのしき詰め作品になった、
 というのが ぽいんと です。やれやれ。

 どちらかというと
「べーす」が同じなら なんでも いくらでも くっつけられる
 ということのほうが じゅうよう だとおもいますけどね。
 これを言い(あらわし)たかった Entryでした。
 また
「べーす」が ちがっても やりようで
 くっつける(組み合わせて しき詰める)ことは 出来ますよね。

 つづきます。
posted by kawahar at 21:56| Comment(0) | kawaharAmb | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする